専門俳人を目指しています。俳句評論執筆のための文章修練、及び俳句実作。厳しい批評をお待ちしております。

# 二十四節気俳句生活

# 天保水滸伝



清水次郎長、国定忠治、大前田英五郎、、、江戸時代の侠客と言えば千葉では笹川の繁蔵である。
小学生の頃、剣道をやっていて、先生方がよく平手造酒の話をしてくれた。
とはいえ、詳しい話はよく知らない。

戦後、映画が多く作られたようだが、元は浪曲や講談で人気になったようだ。
浪曲なんて聞いたこともなかったが、今では玉川勝太郎だって何だってYouTubeで何でも聴ける。

折角なのでどんなお話だったのかちゃんと知ろうと、割と新しい小説版を読んでみた。

史実をなぞりながら、大胆な脚色もなされている。
例えば、座頭市と平手造酒が旧知の仲であった、など。(座頭市のモデルは実在したようだが、盲目の侠客だったというだけで居合の名人などではなかったようだ)
また、悪役の飯岡助五郎がそれなりに好漢に描かれている。


★★★☆☆
史実とはかなり違うようだったが読み物としてはとても面白かった。
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# 黒崎政男 「哲学者クロサキの哲学超入門」



何気なく読み始めた本書、エッセイ調の軽い読み物であるが、読み進めて行くと俳句についての記述があった。

「ネット社会をテツガクする」との章で、インターネットから人工知能(AI)に話が進んだところで「俳句生成ソフト」の話が出てきた。
この俳句生成ソフトで作られた俳句の「作者は誰か」という哲学的(?)な問いがなされ、

「作者の思いを読み取っているつもりだが、実は、我々読み手の側が作者を作り上げ、自分の経験や思いを投げ入れて、作者の心情だと思いこんでいるのではないか」

という仮説が提示される。つまり、俳句を作ったのが人間であろうとソフトであろうと関係なく、読み手こそが作者である、ということである。

俳句の世界ではよく、「俳句は活字になったら読者のもの」「作り手の意図と違う解釈がなされても作者は異を唱えることはできず、むしろ新しい読みの発見に感謝すべき」などと言われるが、同じことである。

本書の著者がこのような考えに至ったのは、おそらく俳句に造詣が深いためと思われる。

鑑みるに、俳句の場合、囲碁や将棋のようにソフトが人間に「勝つ」ということはあり得ない。
例えば、ソフトが作った膨大な句の中から選句して一冊の句集にまとめて、それが蛇笏賞受賞の句集と比べてどうかという対比は出来るかもしれないが、上記の論で行くと「読み手があってこそ」の俳句であり、読み手が人間である限り人工知能は同じ土俵では闘えない。
たとえ、作句だけではなく「選句する」ソフトが開発されたとしても、最終的にそれを評価するのは人間だからである。

とはいえ、私ぐらいでは作句力はすぐに人工知能に抜かされそうだ。

★★★☆☆

# 佐藤正午「月の満ち欠け」



今年上半期の直木賞受賞作を、早速読んでみた。

ウ~ン。視点が次々と替わるところや、ディテールの細かい描写は感心したし、それなりに面白かったが、テーマは「生まれかわり」という新味のあるものではないし、ラストのオチもそれほどのどんでん返しというわけでもない。

直木賞を受賞したのも、「他の作品と比べたら」ということかな?(他の応募作は読んでいないが)

★★★☆☆

# デービッド・アトキンソン「新・所得倍増論」



著者は日本の観光立国化へのオピニオンリーダー。観光地化について言っていることはいちいちもっともだと思うが、この人の言っていることばかりを鵜呑みにしても仕方がない。別の、複数の論者が登場することが望ましい。
そもそもこの方は観光業界の出身ではなく、出自は金融業界(アナリスト)である。
本書のような分野が本職のはずである。

要するに、日本は様々な規制や変化を受け入れづらい国民性が邪魔をして生産性が低いままであり、このままでは世界においていかれる、というのが本書の主題である。
「生産性」については昨今、色々な人が色々なこと言っているが、この人の言うことは比較的まともである。エピデンスを駆使した論説には納得感が強い。

しかし、日本人の持っている「自信」について、「世界第何位」というのは人口が世界11位であることを勘案すべきで、オリンピックのメダルは世界11位だが人口比で考えると50位、ノーベル賞受賞者は6位だが同じく人口比では39位(科学3賞・経済学賞では29位)というのは首肯するが、「輸出額は4位だが人口比では44位」というのは納得が行かない。
もちろん、国境がすべて海で、しかも東~南は広大な太平洋が広がっており、北は陸地はあるがシベリアであるという地政学的なハンデもあるが、そもそも日本は輸出に頼る経済ではなかった。むしろ、貿易黒字が拡大しすぎることを懸念して「内需拡大」を旗印にしてきたのであり、「貿易に頼らない経済」が日本の特徴だったはずだ。(だから携帯電話やファミリーカーがガラパゴス化したわけだ)著者はアナリストだからこれはわかっているはずだが・・・。
無論、人口減の今後においては輸出増を増やす必要があるということについては賛成である。近隣国が発展して大きな市場が生まれたことも追い風であろう。

また、GDPは3位だが一人あたりは27位、っていうのはそれくらいでしょう。
上位にいるのは産油国と、ルクセンブルクやシンガポールなどの都市国家。シンガポールと比べるなら、東京では大きすぎるから、「大阪市」とかで比べるべきであろう。ざっと計算すると、大阪の方がやや高いようだ。
それはそうと、ドイツには若干離されているが、イギリスやフランスとは同程度(日本がやや低い)であり、そんなものでしょう。

本書で深く首肯したのは、日本の農業生産性の低さについてである。やっと最近になって、法人化が認められ、農地の集約化に舵が来られたが、戦後70年近くに渡って「小作人の開放」を目的とした農地法に縛られ続けていたのは遅きに失した感がある。


★★★☆☆
処方箋として、「株主が声を上げて経営者にプレッシャーをかけて株価と生産性を上げる」ということが提示されているが、「それだけかい?」という印象。

# 団十郎とは何者か

小林麻央さんが亡くなった。

このことは家族の間でも話題になったが、「成田屋」「市川宗家」「團十郎」「海老蔵」がどんな重みのある存在であるか、意外と理解していないことがわかった。

有体に言えば、「市川海老蔵」が唯の歌舞伎役者、と思っているフシがある。市川染五郎、市川猿之助、中村七之助、尾上松也とどこが違うのか、訃報のニュースを見ながら家族相手に一席ぶってやった。



本書は、先日聴きに行った「成田市歌舞伎講座」の予習のつもりで読んでおいた。
無論、読む前から「團十郎」が他の歌舞伎役者の名跡とは格が違う、ということは承知の上である。

「團十郎」の歴史は江戸歌舞伎の歴史と歩を並べており、且つ代々名優が育っている「奇跡の名跡」であることは知っていたが、本書によって代々の詳しい事蹟を知ることができた。

また、十一代目の起こしたトラブルの数々(当代の海老蔵も可愛いものである)も、高麗屋(松本幸四郎家)から養子に入り、「團十郎」の名跡の重みを直に感じたからこそ(これは襲名した者しかわからないだろう。「社長の孤独」と同じようなものかも知れない)のトラブルであったようにも書かれている。

それでも、十一代目もそうであるし、過去累代の團十郎もそうであったように、何があっても團十郎が團十郎足り得たのは、観客の熱狂的な支持である。
客が支持する限り、役者は(團十郎は)常に正なのである。
次代團十郎となる当代海老蔵があれほどの容姿、あれほどの存在感であの家に生まれたことも、「奇跡」ではなく「必然」であると感じるほどの歴史が、成田屋と、江戸歌舞伎の熱心な贔屓筋にはあるということである。

初代團十郎と、当代海老蔵の間に血縁関係は無いというのが一応の「公」の記録であるが、外で産ませた隠し子を養子に取ったりなど、昔の人は色々考えてやってる。「血縁は実はある」と考えたほうがロマンがある。

そして、「團十郎」のみが屹立していて「二番手」の名跡なり家なりがはっきりしないことも特徴として言えるはずである。
これは上方歌舞伎が江戸歌舞伎に吸収されたようになってしまっていることも原因の一つかもしれない。
中村歌右衛門なり尾上菊五郎なり、上方なら片岡仁左衛門、座元の市村羽左衛門ら、それから坂田藤十郎(それを言うなら吉澤あやめも、か)あたりが「その次」の候補になるのであろうが、代々が歌舞伎界に果たしてきた功績は團十郎には遠く及ばない。

そして当代の海老蔵は既に歌舞伎界の「顔」になりつつある。勸玄君には、是非今回の試練を乗り越えてもらいたい。

本書は今年3月刊行であるが、麻央さんの病状にも触れられており、「快方に向かっている」と書かれている。
執筆時期は少し前としても、そんな容態ではなかったはずだ。あるいはご本人が読まれることも想定してそのように書いたのか。

市川宗家も成田屋も「悠久」である。
勸玄君が團十郎を襲名するのは私は見られないかもしれないが、麻央さんに似た細面の優男に成長し、例えば「助六」を寺島和史君の「白酒売」と共に演じるとか、意外と荒々しい芸風がニンで「勧進帳」弁慶が当り役になるとか、そして次代は・・・と考えるだけでロマンがあるし、天皇家のように百代を数える頃にはどんな進化を遂げているのか、想像するだけで楽しい。

ちなみに、「團十郎」は先代が十二代目。歌舞伎役者には、もっと代数を重ねた名跡がある。
中村勘三郎、市村羽左衛門、守田勘弥がそうであるが、これは本来は座元の名前。(役者も兼ねることが多かった)
つまりは興行主であるから、かつては当代が欠けたら直ぐに次代が襲名した。名前を途切れさせなかったから、代数が多いわけである。対して役者は、それに相応しい力量を持つまで襲名しないため、座元の名跡ほど代数は多くはない。
今は興行主が松竹であるから、代数の差は開かない。
片岡仁左衛門はご承知の通り当代で十五代目だが、歴史上、代数を若干水増ししているようである。

團十郎はこれからも、歌舞伎名跡の頂点であり続ける。
子孫に真女形が現れたらどうするのか。あるいは勸玄君もお母さんが「まお」だから(?)「まおんながた」になるかもしれない。
女形の團十郎も、それはそれで良いではないか!

★★☆☆☆
よほどの歌舞伎ファンでも持て余すかも。歌舞伎を「文化」として捉える人にはお勧め。

# プロフィール

鈴木霞童

Author:鈴木霞童
平成25年、俳句結社「天穹」入会。
定年後に専門俳人になることを目指して修行中。

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