専門俳人を目指しています。俳句評論執筆のための文章修練、及び俳句実作。厳しい批評をお待ちしております。

# 二十四節気俳句生活

# 平昌オリンピック②

平昌オリンピックが開会した。
オリンピックの開会式が面白かったのは1984年夏のロサンゼルスが最初で最後、その後は退屈なだけだ(1992年冬のアルベールビルはまあまあ面白かった)。選手たちは寒い中、延々とつまらない出し物を見せられて可哀想そうである。開会式なんて甲子園みたいに必要最小限(入場、開会宣言、聖火点灯、選手・審判宣誓)でいい。そもそも開会式前に一部の競技が始まっているのも盛り上がらない理由の一つだろう。
最初はバルセロナあたりの大会でのサッカーだっただろうか。最近は開会式の前から競技が始まるのが「当たり前」になっている。

当たり前だが、「これから大会が始まりますよ」という目的で一堂に会するのが開会式だろう。
これは確か、オリンピックのルールで「大会は土曜から次の日曜までの16日間」(相撲より1日短い)となっていて、以前は開会式もこの16日の中でやっていたのだが、いつからか「開会式は前日にやってよい」ということになり、前後は覚えていないが一部競技とともに土曜より前にやるようになった。
まあ、夏のサッカーや7人制ラグビーとか、冬ならアイスホッケーなど、消耗の激しい競技では会期が足らないのはわかる。

そういえば、以前は冬のオリンピックは競技、種目の数が少なく、日程はスカスカだったが、最近は随分増えた(夏とのバランスをとるため増やした?)。特にスキー、スノーボードのフリースタイル系の種目数の増加は目覚ましい。下世話な話だが、「テレビ映え」するか否かが採用の可否のポイントとなるようだ。確かにハーフパイプなんて放送コンテンツとしてはバッチリだ。
もちろん、2年後の東京オリンピックでサーフィンやスケートボードが採用されたのもそれが理由だ。これらは「東京オリンピック限りの」開催競技ではあるが、サーフィンなんてIOCはどの大会でも実施したいのではないか。いい波の来る場所は限定されるので、どこでも開催できるわけではないのが残念であろう。

ところで、かつて冬季オリンピックの開催「競技」(「種目」ではない)はたった6つだった。夏は昔から20以上あったのと対象的である。そして冬の「競技」の数はそれほど増えてはいない。
6つとは、スキー、スケート、アイスホッケー、バイアスロン、ボブスレー、リュージュ。
スキーはアルペンもノルディックも「スキー」、スケートはフィギュアもスピードスケートも「スケート」である。それ以外の用具を使わないから。
だから、スケートに加えてスティックやパックを使うアイスホッケーと、スキーと銃を使うバイアスロンは別競技なのである。
その後、カーリングが増えて7つ、そしてスノーボードは、確か長野の頃は「スキー」の一部であったが今はどうだろう?

ちなみに「バイアスロン」は単純に「2つの競技」を合わせたというだけの意味であり、夏のオリンピック競技である「トライアスロン」は、名前だけそれが3つ(水泳、自転車、ランニング)になったというだけの意味である。
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# 平昌オリンピック

いよいよオリンピックが始まる。
私はナショナリストではないし、日本代表だからと言って無条件に友達でも親類でもない選手を応援するわけではない天邪鬼(実際に親しく付き合ったら日本代表より他国の選手のほうが好人物かも知れないではないか)だが、冬季オリンピックは好きな競技や選手が多い(小平、高木美、渡部暁など)のでそれなりに注目している。

さて、思うに、この平昌オリンピックが韓国、というか朝鮮民族にとって、繁栄を世界にアピールできるピークになるのではないか、と思う。
北朝鮮をめぐる情勢は、このまま平和が保たれるとしても韓国経済にとってプラスにはならないし、もし「北」が平和的に崩壊するとしてもしばらくは大混乱に陥る。
朝鮮戦争が終わって「漢江の奇跡」と言われた復興を遂げていた1988年のソウルオリンピックから、2018年までの30年間が、恐らく朝鮮民族にとってのゴールデンエイジ。

こう書いたら叱られそうだが、朝鮮半島は気候にも地形にもそれほど恵まれていない。
韓国の方々は古代より中国の進んだ文化が朝鮮半島を経由して、一部のおこぼれが日本(倭国)に流れたと思っている方が多いようだが、残念ながらそうではない(もちろん法隆寺の百済観音のような例外はある)。中国の文化は、国力の低い朝鮮半島を素通りして日本列島に到達したというのが最新の研究成果のようである。
そして古代より一貫して中国の冊封国であった。蒙古族や満族のように中国で覇権を担うことには残念ながらならなかった。(覇権を担わなかったからこそ滅ぼされすに済んだともいえる)
近代、清国がイギリスの卑劣なアヘン攻撃によって弱体化した時にも、両班体制が足枷となって近代化し得なかった。
この時代、清国と朝鮮にあった科挙は優れたシステムであったが、学問が儒学と詩歌に偏りすぎたのが不幸であった。科挙のなかった日本が偏見なく西洋の学問取り入れられたのは皮肉である。
もっとも現代の日本も当時の両班体制のような制度疲労を起こしているのかも知れないが。
そして不幸にも、清・露・日に囲まれた地勢にあったゆえ、日清・日露戦争に連勝した日本の影響下に入らなければ生き残れなかったのは歴史の必然であるが、小中華思想(中国に近いほど文化度が高い)を考えれば屈辱的で、現代にも「恨(ハン)」が残ってしまったことは二重の不幸である。

そして第二次大戦後、共産化して低迷した中国を尻目に、ようやく「本当の独立」を果たした韓国。スポーツでは日本を凌駕し(今回のオリンピックまでスキーだけは残念ながらどうにもならなかった)、芸能では既にアジアの中心と言ってもいいが、経済の不調、日本を上回るとも言われる少子高齢化は、本当なら東西ドイツが統一したように、南北一体となって経済を一旦リセットして立て直す必要が生じる。
それができなければ、最近は日本でも富裕層は国を捨てることを考え始めているようだが、そういうことになりかねない。
最近、「小中華思想」もかなり弱まってきたのか、日本に来る韓国人は非常に増えた。国を捨てる韓国人は中国ではなく日本を目指して来るか?

# 藤井聡太 五段昇段

今朝のニュースで、藤井聡太四段が五段昇段を決めたと報じられていたが、「どの昇段規程で昇段するのか」が抜け落ちていた。
普通に考えたら、キャリアの浅い藤井四段は、勝ち数規程ではなく順位戦の昇級(C級2組からC級1組)の可能性が高いが、順位戦にしては早くないか? 2月下旬か3月下旬にならないと決まらないはずだが、、、とネットで調べてみたら、やはり昇段規程は順位戦昇級で、最終戦を残して(!)9選全勝で早々と昇級を決めたとのこと。
将棋に詳しくない方にはピンと来ないと思うが、これはかなり凄いこと。
プロ入りして最初に入る順位戦C級2組は50名からの大所帯で、昇級できるのは3名。1回でパスできる「一抜け」はひふみんの頃のような人数が十何名の頃は別として、最近の近藤誠也など何人かは成功しているが、谷川も羽生も渡辺明も「一抜け」には失敗している。これは「順位戦」の名の通り「順位」が影響してくるからであり、全勝の場合は無条件で昇級できるが、9勝1敗や8勝2敗で並んだ時は「順位の上位の者」から昇給していくというシステムになっているからである。相撲の番付のようなものと思ってもらえばいい。つまり、今年からリーグに参加している藤井聡太の順位は最下位あたりで、確実に昇級するにはほぼ「全勝」が必要だったわけである。

そして、ここでまた運命のイタズラか、来週の朝日杯オープン決勝で、「勝てば昇段」の芽が出てきた。
朝日杯オープンのような「全棋士対象の棋戦で優勝」は本来七段の昇段規程であるが、五段であれば六段に昇段できる(飛び級は出来ない)。
つまり、順位戦昇級が最終戦までもつれ込んでいたら、たとえ朝日杯オープンで優勝したとしても、その段階では四段だから、五段にしか昇段できなかった。

将棋の昇段(プロの)規程は割とシンプルで、順位戦で昇級する毎に昇段する。曰く、B級2組で六段、B級1組で七段、A級で八段、そしてA級で1位となって名人に挑戦し、名人位を獲得したら九段、である。
その他には、竜王獲得で八段、名人・竜王以外のタイトル獲得で七段など。順位戦で万年C級の棋士のため(?)の「勝ち数規程」というものもある。
囲碁のプロは九段が一番多いことはよく知られているが、将棋で九段はかなりの実力者である。一番人数が多いのは七段あたりか?

2月17日、朝日杯オープン決勝の相手は遂に羽生善治。「神ってる」藤井聡太であれば撃破できる気がする。

# 御奉射

千葉県北部の旧村には、正月に御奉射(オピシャまたはオビシャ)と呼ばれる神事がある。
(広辞苑には「御歩射(オビシャ)」として掲載されている。)

本来は字の通り弓矢を使っていたのかも知れないが、現在残っている形は様々であり、単なる新年会に成り果てている地区や、なぜか獅子舞を舞う地区があったりする。
私の生まれた地区は印旛沼流域ではオーソドックスな、生きた鮒を用いる方式であり、割と古い形が残っていると言われている。
また、「男オピシャ」「女オピシャ」と行事が別れており、古式に則る神事は「男オピシャ」であり、「女オピシャ」はそれこそ新年会のようなものである。
そして、約百戸ある家が順繰りで宿主となるのだが、今年、我が家はその「百年に一度」の宿主になったのである。(順番は家の並び順を元にやや複雑に決まっている)

宿主となると、自宅に神様(御神体の御社)を迎えて一年間安置することとなる。そのお送り渡しの儀式が神社で執り行われた。

オピシャ
写真は蓬莱山と、その後ろに控える御神体。
蓬莱山(盆)は歳時記に書かれているものと違い、盆の上に大根を切って載せて松竹梅を飾り、米一升で山を作り、鶴亀を飾る。

宮司さんの祝詞奏上の後、参加者(氏子総代、区の役員、送り・迎えの当家と両隣など)が「蓬莱山参り」と称してお捻り(なぜか玉串ではない)を奉納し、お酒を回し飲む儀式、背合わせの生き鮒を送り・迎えの両家が箸で返して固めの盃。その後簡単な直会があって、更には三峰講の抽籤の後お開きとなり、新しい宿主(私)は家まで無言で御神体を抱いて帰る。(数年前に新調したが、かつてはもっと大きく、背負って帰ってきたそうである)

お酒はそれなりに出るが、終始厳粛な雰囲気の神事であり、身の引き締まる思いである。


燗酒を古式に廻す御奉射かな

# 大相撲の話題

PCに「おうのしょう」と入力したら一発で「阿武咲」と変換できた。最近の日本語IMEの更新は早い。
(「えんほう」はまだ「炎鵬」とは変換されなかった)


ここ数日、日本のメディアは日馬富士の暴力事件で異様なまでの盛り上がりを見せているが、昨日あたりから、
日馬富士 vs 貴ノ岩 ではなく、
相撲協会 vs 貴乃花親方 という風な構造に変わってきている。

しかも、昨年の理事長選挙で貴乃花親方を支持した伊勢ヶ浜親方(旭富士)が日馬富士の親方であるというあたりも、事態を複雑にしている。
単に、もともと変わり者だった貴乃花の「ご乱心」なのか、あるいは、、、。

貴乃花は理事長選に出る時、「改革」を訴えたが、親方衆には「改革」の中身がよくわからない、という評価があったようだ。
私ももちろんわからないが、ここ数日、貴乃花の過去のインタビュー映像を見ていて思ったこと。

相撲はファンあってのもの。これは当たり前。では「ファン」とは?

1.テレビを見るだけのファン
2.本場所や巡業に足を運ぶファン
そして、
3.タニマチ・後援者

部屋や力士はどこを向いているか。1、2の一般的なファン、ではなく、これまでは3、であったはずだ。
化粧廻しは誰が贈る? 手当の少ない若い者に誰が旨いものを食べさせる? そして引退後の年寄株の取得や部屋の開設・維持、ちゃんこ屋など転業のバックアップは誰がする?

そう、大相撲は構造的に、大名お抱えや、宴席で「男芸者」と言われていた時代から、席料(現代では放映権料も)だけでは運営できない。
これはプロ野球やJリーグでも同じであるが、これらは公式にスポンサー(親会社)が付いている。
大相撲も懸賞や呼出の着物などには企業名が出るが、規模は圧倒的に小さい。むしろ、競馬の馬主に近いような「個人の無名の資金提供者」に依存しているところが大きいのである。

そして日本の産業構造の変化により、個人で馬主になったり芸姑を囲ったり、力士のタニマチになったりする「旦那文化」は急速に廃れている。

貴乃花親方は、このあたりを改革、つまりはタニマチに依存せず、クラウドファウンディングではないが、広く一般のファンから、例えば広告などを通じて資金を得て、大相撲を運営していく方向に改革していこうとしているのではないか。


とはいえ、私は旧守派である。いつか金持ちになったら相撲部屋のタニマチとなり、料亭に関取や芸者を呼んで遊び、馬主になってドバイの石油王と付き合い、茶室に古今の名品を集めて風流人ぶってみたい(爆)。

まあそれは冗談として、IT長者などが日本の古き良き文化に目覚め、力士を支援することや、花街で散財することを覚えてくれたらいいのになぁ、、、と思っている。
いやIT長者だけではないな。これからは日本好きの外国人富裕層に期待、か。

# プロフィール

鈴木霞童

Author:鈴木霞童
平成25年「天穹」入会。30年同人。
定年後に専門俳人になることを目指して修行中。

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